7・13水害、中越地震発生後の支援に関する活動記録

社団法人 新発田青年会議所 アンケート

直前理事長  渡辺 明紀 君

 

内容

 

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7・13水害発生 

 

 

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水害が発生したが、とにかく大変な事が起こったとの認識しかなく、またLOMとしての被災地支援もナホトカ号重油流出事件以来なかったため、実際にLOMとしてどのように動けばよいか理事長としての自分にはイメージが持てなかった。また週末にLOMとしての全員参加事業である新発田城竣工記念イベント(7/18予定)が控えており動きにくい状況にあったが、まずは状況を正確に把握することが必要だとLOM執行部と話をした。

 

 

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会員会議所で、ブロックとしての対応が話し合われたが、まず正確に情報を把握することが必要であり、ここでどのように動くかでブロック協議会としての真価が問われているとの発言をした。また燕三条JCの韮澤理事長(04年当時)の自宅も会社も水没しており、机の上まである水が未だに引かないとの話も聞いた。

 

 

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LOM事業として、新発田祭のための木遣練習会があり、三条の現状をわかる限り説明し、その場でLOMメンバーに共に三条へ行こうと呼びかけた。いつ行くか、行ってどのような活動をするのかはわからないが、同じJCのメンバーが被災しているという事実を思うと、何かしなければとの思いのみで行動した。LOMには災害時に理事長専決事項で支出できる予算があらかじめ用意されていたので、それを使ってできる対応を検討するように山田専務理事(04当時)にお願いした。

 

 

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新発田城イベントが中止となったので、そのために予定を空けておいたはずのLOMメンバーに改めて三条被災地ボランティアへ行くように山田専務に呼びかけてもらった。

その後、個人的に先行して被災地に入ったLOMメンバーなどから情報を集め、山田専務に必要な資材などの準備をお願いし当日に備えた。実際の被災地支援活動は前述の通り。

その他に、個人的に、また仕事を通じて、被災地支援に行ったメンバーが数多くいたようである。

 

 

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中越震災発生

 

 

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地震直後小千谷付近が震源とのニュースを聞いたので、宮崎理事長(小千谷JC04年当時)と電話連絡を取ろうとするが、不通。

 

 

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引き続き宮崎理事長に電話を掛け、夕方にようやく繋がる。御見舞いを申し上げた後に“今一番必要な支援は何か?”と聞くと、市民に温かい食事を与えて欲しいとの事であった。取り急ぎ山田専務に電話をするが、7.13水害で理事長専決事項の災害対応のための予算をある程度使ったので、これ以上の支出は難しいとの返事であった。その旨宮崎理事長に話をし、片付けなどの労力奉仕のボランティアなどの対応ならば可能であるが、と提案するが、やはり現地で今必要な事は“市民への温かい食事”であるとの宮崎理事長の意向であった。とにかく宮崎理事長が求めるものを提供すべきだと腹を括り、資金的な問題は何とかすることにして、山田専務にはとりあえず1,000食のウドンを準備するようにお願いした。

 

 

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LOMメンバーへの連絡、食材・資機材の調達、警察へのボランティア車両の登録などの雑務は一切山田専務に取り仕切ってもらって、自分は募金箱を持ち、LOMのOBが多数在籍する新発田ロータリークラブへ募金のお願いに出かけた。例会の時間を一部頂戴し、被災地支援に行きたいので資金補助をお願いしたいと正直に申し上げ、募金箱を廻したところ、大勢のメンバーの方より数多くの篤志をいただき、また酒造メーカーの先輩からは水、精肉業者の先輩からは豚の角煮、製麺業の先輩からはコンロの無償提供など多数の現物支給を頂いた。ロータリーの皆様からは「本来なら自分たちは行きたいのだが、中々現地に入れない。JCの皆さんが行かれるのならば是非自分たちの分も頑張って欲しい」と激励のお言葉も多数頂いた。非常に有難いことであった。

 

 

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小千谷小学校・社会福祉協議会に於いて、うどん1000食の食料支援を実施。現地では余震が続く。温かいうどんは大変好評で、翌日は更に場所・規模を拡大し実施して欲しいとの要請があり了承。新発田で後方支援をしている山田専務に連絡し、翌日10/272,000食の食糧支援の準備を要請した。併せて資金確保のため、宮嶋副理事長等に、当日丁度開催されていた新発田商工会議所総会に急遽出向いてもらい、被災地の現状を説明し募金箱を廻して多額の協力を頂いた。また新発田JCのみでは小千谷市周辺部数箇所での食料支援を実施することは人数的・機材数からも困難と判断し、急遽(社)中条青年会議所に協力を依頼し、共同での支援に快諾を得る。

 

 

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中条JCと共にひとまず小千谷小学校に出向き、小千谷JC佐藤専務理事(当時)に食糧支援場所まで案内をいただき、メンバーを3箇所に分けて展開した。道中では余震が頻発したため、何度も休憩をとり周辺事情を確認しながらの展開となった。現地は消防車、救急車がサイレンをならして走り回り、緊迫した状況であった。また特に真人(まっとう)地区への道中では、消防団などが警備する一般車両通行止めの区間(路肩が崩れて片側通行の箇所が多数あった)が数多くあり、仮にその区間を通行中に余震があってLOMメンバーに被害が出たらと思うと胃が痛くなる状況であった。

 

 

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一旦食料支援を休み、新発田で今後の支援について準備を行った。

 

 

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メニューを変えて、トン汁の支援を行った。現地での食料支援団体も増えてきたので、少人数での支援として昼食のみの支援とし実施した。

 

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ブロック協議会において、緊急理事長会議が行われ、ブロックとしての今後の支援方針が決まった。エリアごとに日程を決めての食料支援とボランティアセンターの支援であった。

 

 

11/8(月)から3日間が第一エリアの担当であったが、エリア内の他LOMと協議し、他LOMは交代で食糧支援、当LOMはボランティアセンターでボランティア要請電話の対応をすることとした。11/810と現地に赴き電話応対を行った。

 

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また年が明けて、2005312日(土)に長岡市内の仮設住宅に非難している山古志村民への慰問として、陸上自衛隊第30普通科連隊(新発田)と同行し、長岡丘陵公園において、お汁粉300食の無料配布を行った。

 

 

 

《水害》

7/18(日)7/19(月)7/25(日)の3日間で延66名参加。

3日共、午前8時30分 現地各ボランティアセンターに集合。 一般ボランティアの方と同様に、5〜10名程度のグループに分かれ、要請のあったお宅へ訪問し、被災者の方の指示の下、作業を行った。(午後4時迄)

 主な作業内容

 (三条市街) ・浸水した家財道具、畳等の屋外への搬出

        ・床板の撤去

        ・汚泥の搬出

        ・床下の消石灰による消毒

 (見附市街) ・2tダンプ及びトラックによる屋外に集積

         されたゴミの積込、搬出作業

LOMとしての活動は上記であるが、個人的にボランティアに出かけたメンバーが多数見られた。

 

《震災》

  10/26(火) 午前10時30分〜午後4時30分  参加者12名

         小千谷小学校グランドにおいてうどんの炊出し作業。(1,150食)

  10/27(水) 午前10時30分〜午後3時00分  参加者18名

         小千谷市栄町団地及び真人地区、他においてうどんの炊出し作業。

         (栄町団地400食、真人地区1,200食、他地区400食 計2,000食)

  10/29(金) 午前10時30分〜午後2時00分  参加者 2名

         小千谷小学校グランドにおいて豚汁の炊出し作業。(200食)

  10/30(土) 午前10時30分〜午後3時00分  参加者 4名

         小千谷小学校グランドにおいて豚汁の炊出し(200食)、及び夕食の炊出しの設営準備。

11/7(日) 午後 3時00分〜午後6時30分  参加者 5名

    小千谷小学校グランドにおいて豚汁の炊出し作業。(300食)

  11/8(月) 午前 8時30分〜午後6時00分  参加者 2名

         小千谷ボランティアセンターにおいてスタッフ業務

(被災者からのボランティアの要望に対する電話対応)

11/10(水) 午前 8時30分〜午後6時00分  参加者 4名

         小千谷ボランティアセンターにおいてスタッフ業務。

         (被災者からのボランティアの要望に対する電話対応)

余震が続いた事もあり、個人レベルには中々現地に入れず、水害時との違いを感じた。

 

 

《水害》

前述のように7/14に会員会議所が中条で開催されたが、その後に緊急理事長懇談会があり、その際にざっくばらんな話し合いが行われた。様々な意見交換が形式に捉われずに行われ非常に有意義な会であったと考える。よって今後災害が発生した時には、集まれる理事長だけで構わないので緊急理事長会議を開き情報を交換し、対応を協議することが必要である。

また何よりも現地の情報が大切である。

しかしこの時に多数のLOMメンバーが、ボランティア体験に従事したので、後の中越震災支援をスムーズに実施できたと思う。何事も経験が大切との感を強くした。

《震災》

自LOMの幟(のぼり)を立てて活動しているLOMもあったが、新発田青年会議所では自己PRと取られる事を潔く思わない風潮があり、そのような事はしなかった。しかし青年会議所が活動していることを被災者が認識することで、地元の青年会議所への信頼感も高まる効果があるので今後は一考を要すると感じた。

いち早く現地に入ったブロック会長等の行動には敬意を表するが、ブロック事務局が現地で得た被災状況などをML(メーリングリスト)やHP(ホームページ)を通じてLOMにも流して欲しいと感じた。今回MLを通じて流れてくる情報は、トラックを何台、人員を何名出して欲しいという要請のみで、現地の被災状況、被災地LOMが求めている支援内容などは一切流れてこなかった。ただ人数を出して欲しいというだけでは、余震の続く中メンバーを送り込む事に躊躇するLOMがあったのも仕方が無いことだと思う。またブロック協議会が赤十字や社会福祉協議会などと一緒にボランティアセンターに入ったので、活動の幅が広がったというメリットを感じたが、一方ではタイムリーな活動が制約を受け、被災地の求めている支援ができたかどうかは再考を要すると感じた。つまりブロック協議会事務局が必要な情報を持っている訳ではなかったので、指示を待っていてはタイムリーな支援は不可能と考えて、今回は個人的なネットワークでLOMとして独自に行動することにした。ブロック協議会の一員としての行動と、社団法人格をもつLOMとしての行動を、どのようにMIXさせていくかが今後の協議ポイントの一つになると思う。しかし余震が続く中で、今回はブロック協議会も最善を尽くしたと理解したい。

また被災地LOMの理事長・専務理事はじめとするLOMメンバーは、自身の家庭や会社が被災しているにも関わらず復旧に尽力しており、個人的に多大な負担が掛かっているので、彼らが存分に力を発揮するために、個人の家庭や会社への側面支援(片付けや家族のケアなど)も必要だと感じた。今回は、LOMでも執行部会を開いてこの点についてどのように対応するか協議を行ったが、難しい問題である。“まち”のためにと、日頃より活動しているLOMが、非常時には“まち”よりも“自分の家庭・身内”を優先し助けていては市民の信頼を失いという意見もあれば、被災したLOMメンバーも“まち”の一員なので、彼ら自身がいち早く復旧することで、“まち”の復旧に専念でき、結果として“まち”のためになるという意見もある。心情的には後者であるが、被害に遭っているのはJC関係者だけではない現実の前に決断は難しい。皆様からの意見もお聞きしたい。

さらに余震の続く被災地に、有為な人材であるLOMメンバーを連れて行って良いのかどうか、非常に迷うところであった。と言うのはもしもの事があったら責任が取れないし取り返しがつかないからである。余震が続く限りは被災地にメンバーを派遣しないと明確に仰っていた理事長が何名か居られたが、私はその判断は“LOMを預かる理事長として”ある意味、責任を持った重い判断だと感じ、その姿勢を評価したいと思う。