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中越震災発生
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地震直後小千谷付近が震源とのニュースを聞いたので、宮崎理事長(小千谷JC:04年当時)と電話連絡を取ろうとするが、不通。
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引き続き宮崎理事長に電話を掛け、夕方にようやく繋がる。御見舞いを申し上げた後に“今一番必要な支援は何か?”と聞くと、市民に温かい食事を与えて欲しいとの事であった。取り急ぎ山田専務に電話をするが、7.13水害で理事長専決事項の災害対応のための予算をある程度使ったので、これ以上の支出は難しいとの返事であった。その旨宮崎理事長に話をし、片付けなどの労力奉仕のボランティアなどの対応ならば可能であるが、と提案するが、やはり現地で今必要な事は“市民への温かい食事”であるとの宮崎理事長の意向であった。とにかく宮崎理事長が求めるものを提供すべきだと腹を括り、資金的な問題は何とかすることにして、山田専務にはとりあえず1,000食のウドンを準備するようにお願いした。
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LOMメンバーへの連絡、食材・資機材の調達、警察へのボランティア車両の登録などの雑務は一切山田専務に取り仕切ってもらって、自分は募金箱を持ち、LOMのOBが多数在籍する新発田ロータリークラブへ募金のお願いに出かけた。例会の時間を一部頂戴し、被災地支援に行きたいので資金補助をお願いしたいと正直に申し上げ、募金箱を廻したところ、大勢のメンバーの方より数多くの篤志をいただき、また酒造メーカーの先輩からは水、精肉業者の先輩からは豚の角煮、製麺業の先輩からはコンロの無償提供など多数の現物支給を頂いた。ロータリーの皆様からは「本来なら自分たちは行きたいのだが、中々現地に入れない。JCの皆さんが行かれるのならば是非自分たちの分も頑張って欲しい」と激励のお言葉も多数頂いた。非常に有難いことであった。
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小千谷小学校・社会福祉協議会に於いて、うどん1000食の食料支援を実施。現地では余震が続く。温かいうどんは大変好評で、翌日は更に場所・規模を拡大し実施して欲しいとの要請があり了承。新発田で後方支援をしている山田専務に連絡し、翌日10/27に2,000食の食糧支援の準備を要請した。併せて資金確保のため、宮嶋副理事長等に、当日丁度開催されていた新発田商工会議所総会に急遽出向いてもらい、被災地の現状を説明し募金箱を廻して多額の協力を頂いた。また新発田JCのみでは小千谷市周辺部数箇所での食料支援を実施することは人数的・機材数からも困難と判断し、急遽(社)中条青年会議所に協力を依頼し、共同での支援に快諾を得る。
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中条JCと共にひとまず小千谷小学校に出向き、小千谷JC佐藤専務理事(当時)に食糧支援場所まで案内をいただき、メンバーを3箇所に分けて展開した。道中では余震が頻発したため、何度も休憩をとり周辺事情を確認しながらの展開となった。現地は消防車、救急車がサイレンをならして走り回り、緊迫した状況であった。また特に真人(まっとう)地区への道中では、消防団などが警備する一般車両通行止めの区間(路肩が崩れて片側通行の箇所が多数あった)が数多くあり、仮にその区間を通行中に余震があってLOMメンバーに被害が出たらと思うと胃が痛くなる状況であった。
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一旦食料支援を休み、新発田で今後の支援について準備を行った。
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メニューを変えて、トン汁の支援を行った。現地での食料支援団体も増えてきたので、少人数での支援として昼食のみの支援とし実施した。
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ブロック協議会において、緊急理事長会議が行われ、ブロックとしての今後の支援方針が決まった。エリアごとに日程を決めての食料支援とボランティアセンターの支援であった。
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11/8(月)から3日間が第一エリアの担当であったが、エリア内の他LOMと協議し、他LOMは交代で食糧支援、当LOMはボランティアセンターでボランティア要請電話の対応をすることとした。11/8、10と現地に赴き電話応対を行った。
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また年が明けて、2005年3月12日(土)に長岡市内の仮設住宅に非難している山古志村民への慰問として、陸上自衛隊第30普通科連隊(新発田)と同行し、長岡丘陵公園において、お汁粉300食の無料配布を行った。
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